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中国の少年時代と射撃ゲーム:仮想と現実の危うい境界線

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射撃ゲームは、そのエキサイティングな魅力ゆえに、世界中で多くのプレイヤーを熱狂させてきました。しかし、その興奮が仮想世界に留まらず、現実世界に影響を及ぼす時、私たちはどのような危険と向き合うのでしょうか。今回は、中国のゲームメディア「触乐」に掲載された、編集者である司普毅氏の個人的な体験談を基に、少年時代の「危険な遊び」から、射撃ゲームが持つ仮想と現実の境界線の危うさ、そして現代にまで通じるそのメッセージを日本の読者向けに再構成してお届けします。

中国のネットカフェ黎明期、熱狂と暴力の狭間で

物語は、2025年10月17日付の記事として語られますが、筆者の司普毅氏が少年時代を過ごした2000年代初頭の中国西北部の辺境の小さな町に遡ります。20世紀末には7階建てを超える建物は珍しかったその町も、2000年代に入ると不動産開発が盛んになり、近代的な建物が次々と登場します。そんな中、筆者の実家近くには地元の最大の中学校があり、その4階建ての学生寮は、当時の小学2年生だった筆者にはひときわ荘厳に見えました。

当時、近所の男の子たちは、学校の寮の窓に石を投げつける遊びに夢中でした。石が窓に当たると、興奮した笑い声を上げながら一目散に逃げ散るのが常でした。同じ頃、町では「Counter-Strike(CS)」に代表される射撃ゲームがネットカフェに登場し、瞬く間に若者たちの間で絶大な人気を博します。ネットカフェの店主たちは、ゲームに熱中するあまりトラブルを起こしがちな、町で暇を持て余す若者たちへの対応に苦慮していました。

トラブルの原因は主に2つ。一つはゲーム内でのチート行為、もう一つはゲーム外での罵倒です。特に、「このバカがどこに手榴弾投げたんだ!」といった一言で、ネットカフェ全体が騒然となることも珍しくありませんでした。店主や店員は「外でやれ!」と必死に止めようとしますが、聞く耳を持たない者も多く、ゲーム内の争いが現実の喧嘩に発展することも度々あったそうです。

BB弾と花火がエスカレートさせた「リアルCS」体験

ネットカフェでの喧騒を耳にし、目撃するうち、筆者は一部のプレイヤーに対してステレオタイプな印象を持つようになりました。髪を染め、威圧的な顔つきで、よく人にお金をせびり、早くから煙草を覚え、キーボードを叩き壊すことに慣れ、汚い言葉が口癖になっているような彼ら。そんな彼らと、石を投げて遊んでいた近所の男の子たちには、どこか共通点があるように感じたといいます。中学校の南門周辺の石が尽きる頃、彼らの間で流行したのは「BB弾銃」でした。現在の基準から見れば、BB弾銃には重大な安全上の問題があり、10メートル以内であれば局所的な激痛と長時間にわたる腫れを引き起こします。筆者自身、親にこっぴどく叱られた経験があるため、これは確かな事実だそうです。

通常は固く閉ざされていた中学校の南門も、ある時期、下部の鉄網の溶接部分を力ずくで剥がせるようになり、少年たちによって「突破」されてしまいました。筆者を含む8人の少年たちは、BB弾銃を手に匍匐前進で校内に侵入し、先頭の少年が「CS」の構えを真似て、学校の施設をゲームの舞台に見立てて「対戦」を楽しんでいました。その結果、学校の窓ガラス、街灯、看板などはBB弾銃の有効射程内で繰り返し撃たれ、様々な程度の損害を受けました。しかし、この遊びも、数人の友人の親たちによって厳しく止められ、何十個もの白熱電球の弁償を学校側に申し出ることになりました。筆者は当時の行為について、学校側に多大な管理・維持コストを増やしたことに対し、深く反省と申し訳なさを感じています。

さらにエスカレートしたのは、小学卒業間近の冬休み前の出来事です。一人の友人が長さ約20cm、直径5cmの大きな「二段ロケット花火」(中国では二踢脚と呼ばれる)を2元で購入しました。ある夜23時頃、彼は射撃ゲームで手榴弾を投げる動作を真似て、寮の1階の窓辺に点火した花火を投げ込みました。その爆発音は天地を揺るがすほどで、2回の轟音は瞬く間に寮全体を明るく照らし、付近の住宅街では電動バイクの警報音が鳴り響きました。数分後、宿舎の管理人がコートを羽織って飛び出し、南門に近づき、激しい声で怒鳴り始めました。彼の声は深く響き、静寂の夜空に際立って鮮明でした。その修辞は荒々しくも巧みで、リズム感があり、河套方言の荒々しい特徴も相まって、さらに迫力を増しました。当時、悪事を働いた少年たちは、誰も彼に立ち向かう勇気はありませんでした。翌日、首謀者の少年は親に連れられ、学校の警備部門に謝罪しました。その日以来、これらの危険な活動は完全に終わりを告げたのです。

現代に蘇る「懐かしさ」と「危険性」の問い

時が流れ、現在また射撃ゲームが大流行する時代が訪れました。しかし、筆者自身はなぜかこうしたゲームに熱中することができません。おそらくは、自分の腕前では対戦相手に良いゲーム体験を提供できる程度に過ぎないからだと考えています。そんな筆者が先日、ある記事を目にしました。それは、とある大学生が、自身のキャンパスのリアルな風景を素材にした射撃ゲームを開発し、卒業制作として注目を集めたという内容でした。記事を読み終えた後、筆者の頭の中には、中学校のキャンパスが「バトルロワイヤル」の戦場となる光景が浮かび、想像するほど面白く感じられました。そして、現実の風景を3Dモデルに変換するプロセスについて調べ始めたのです。

その時、筆者は一つのことをはっきりと理解しました。なぜ懐かしさをテーマにしたゲームは、その懐かしさを強調する必要があるのか?たとえグラフィックが粗く、システムが古くても、もし故郷の街並みや学校が1対1で忠実に再現されたゲームがあれば、筆者とかつての仲間たちはきっと夢中になるに違いありません。この体験を通じて、筆者は射撃ゲームそのものが持つ不安全な側面を改めて深く認識し、やはり仮想世界の中に留めておくべきだという結論に至ったのです。

まとめ

今回の記事は、中国の少年時代の思い出から、射撃ゲームと現実世界の危うい境界線について深く考察しています。仮想世界での熱狂が現実世界での危険な行動へと繋がりかねない可能性は、ゲーム技術が高度化し、リアルな表現が可能になる現代においても、決して無視できない課題です。日本の読者にとっても、自身が体験したゲームや遊びの思い出を振り返り、ゲームが持つ魅力と危険性の両方を認識するきっかけとなるのではないでしょうか。これからも、ゲームは私たちを楽しませてくれる存在であり続けるでしょう。だからこそ、その安全な楽しみ方を常に意識し、仮想世界と現実世界のバランスを保つことが、私たちプレイヤー一人ひとりに求められているのかもしれません。

元記事: chuapp

Photo by Kampus Production on Pexels

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