驚異的な生涯現役ぶりで中国のビジネス界に旋風を巻き起こす人物がいます。83歳という高齢ながら、中国の冷凍食品業界を牽引してきた伝説の起業家、陳澤民(チェン・ザーミン)氏が、今度は「原子力電池」という最先端技術分野への参入を正式に表明しました。これは彼にとって三度目の起業。「中国製造」を「中国創造」へ、そして「中国智造(スマート製造)」へと進化させるという壮大なビジョンを掲げ、新たな挑戦に踏み出します。その飽くなき探求心と大胆な決断は、年齢を理由に挑戦を諦めがちな私たちに大きなインスピレーションを与えてくれるでしょう。
中国冷凍食品業界の礎を築いた「湯圓の王」
陳澤民氏の起業家としての道のりは、まさに中国産業の変革史を映し出すかのようです。1992年、鄧小平(トウ・ショウヘイ)の南方講話に触発され、当時50歳だった彼は鄭州第二人民病院の副院長という安定した地位を捨て、ビジネスの世界に飛び込みました。そのとき既に、彼は四川省の「湯圓(タンユエン)」という伝統的なお菓子の製法と、東北地方の「冷凍餃子」の技術を融合させ、「インスタント冷凍湯圓」を発明していました。この革新的な商品は特許も取得されています。
その後、陳澤民氏が設立した「三全食品」は、一台の三輪車で街を駆け巡り、自身が開発した冷凍湯圓を売り歩くことから始まりました。この商品は瞬く間に鄭州で大ヒットし、彼は全国規模の販売網を構築。1994年には日産30トンを達成し、1995年には「全国500大優秀民営企業」に選ばれるなど、中国の冷凍食品業界の工業化時代を切り開きました。
当時、多くの競合が彼の特許を侵害する製品を模倣しましたが、陳氏は訴訟に踏み切りませんでした。彼は後に「冷凍食品は技術的な敷居がそれほど高くなく、特許訴訟に労力を費やすのは得策ではない。中国の冷凍食品産業はまだ黎明期にあり、海外の大手企業が上陸するのを防ぐためにも、国内企業が協力して早期に強固な産業基盤を築くべきだ」と語っています。その戦略的な視点と寛大な精神が、業界全体の発展を促したと言えるでしょう。
そして2008年、66歳にして三全食品は深セン証券取引所に上場。しかしその一年後、彼は会社の経営を息子に託し、第一線から退きます。誰もが彼の引退を確信したはずですが、陳澤民氏の挑戦はまだ終わっていませんでした。
83歳で「原子力電池」へ:異分野挑戦の連続
2013年、陳澤民氏は再び周囲を驚かせます。彼はクリーンエネルギー分野への参入を決意し、二度目の起業に踏み切ったのです。設立した万江新能源公司では、地熱発電と地熱資源の総合利用に注力。「湯圓で稼いだ数十年分の資金」を投じ、専門家を招いて地熱技術開発に没頭しました。チベットの標高4800メートルの高地で、若いスタッフさえ高山病に苦しむ中、岩の隙間から噴き出す熱気に興奮し、自身の年齢も体の不調も忘れて研究に没頭したと語っています。
そして今回、83歳にして三度目の起業。彼は鄭州航空港全球起業家大会で、原子力電池分野への正式参入を発表しました。今年9月には、戦略的投資家として無錫貝塔医科科技有限公司(Wuxi Beitai Medical Technology Co., Ltd.)に資本参加し、名誉会長、総裁、董事(取締役)に就任。医療技術企業が原子力電池分野へ進出するという異色の組み合わせも、彼のビジョンを物語っています。
彼の目標は、高精度な原子力電池技術を確立し、中国が世界のハイテク分野で主導的な役割を果たすことです。この挑戦は、これまでの「中国製造」のイメージを刷新し、「中国創造」そして「中国智造」へと昇華させるための重要な一歩となるでしょう。
まとめ:年齢を超越する起業家精神と中国テックの未来
陳澤民氏の83歳での原子力電池分野への参入は、単なる一企業の動向にとどまりません。彼の生涯にわたる挑戦は、中国が単なる製造大国から技術革新国家へと変貌を遂げようとしている現代中国テックの精神を象徴しています。冷凍食品から地熱エネルギー、そして原子力電池という全く異なる分野への転身は、「不可能はない」という強い意志と、未来を見据える先見性に裏打ちされています。
日本においても、高齢化社会における「生涯現役」のあり方や、産業構造転換のヒントとして、陳氏の事例は多くの示唆を与えてくれるでしょう。中国がこのような大胆な起業家精神と国家戦略の後押しを受け、先端技術分野でどのようなイノベーションを生み出していくのか、その動向から目が離せません。この「湯圓の王」が、次に世界をどう驚かせるのか、その挑戦の行方を楽しみに見守りたいと思います。
元記事: pedaily
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