現代の企業管理において重要な位置を占める「360度評価」は、従業員のパフォーマンスを多角的に評価するためのツールです。自己評価に加え、上司、同僚、部下など様々な視点からフィードバックを得ることで、年次評価や昇進の判断材料となることが一般的です。特に、中国の一般的なインターネット大手企業では、この制度が従業員にとって大きなプレッシャーとなり、評価シーズンにはSNSで「どう書けばいいのか」「悪い評価をもらったらどうしよう」といった不安の声が飛び交います。
しかし、私たち日本の読者にも馴染みのある中国ゲーム業界では、この360度評価が全く異なる様相を呈していることをご存知でしょうか。多くのゲーム企業ではそもそも導入されておらず、導入されている場合でも、その厳粛さは失われ、従業員たちの“暗黙の了解”のもと、独特なメカニズムへと変質しているのです。今回は、中国のゲーム大手企業における360度評価の「変質」の実態に迫ります。
中国ゲーム業界で変質する360度評価の実態
360度評価は、本来、従業員の仕事ぶりを客観的に把握し、成長を促すためのものです。しかし、中国ゲーム業界では、その本来の目的とはかけ離れた「生態系」が形成されています。
「互恵互利」が常態化する評価プロセス
中国のゲーム業界のトップ企業に勤務する小優(シャオユー)さんの例を見てみましょう。彼女の会社では、毎年年末の業績評価前に大規模な360度評価が行われます。昨年、彼女は親しい同僚14人に対して評価を記入しました。社交性、仕事への情熱、業務効率など、様々な観点から同僚を褒め称え、すべての客観項目で迷うことなく最高評価を付けました。
小優さんは、自分が良い評価を与える一方で、同僚からも同じように良い評価を受け取ることを知っています。なぜなら、彼らの間では「お互いに高評価を付け合う(互刷好评)」ことが事前に話し合われているからです。彼女はこれを「互恵互利(持ちつ持たれつ)な行為」だと表現します。これは明らかに評価制度の趣旨に反し、従業員の真のパフォーマンスを客観的に反映するものではありません。しかし、誰もそれを気にしません。
当初、小優さんは「もしかしたら本音を言う隠れたチャンスなのかもしれない」と訝しんでいましたが、周囲の同僚たちの反応を見て、誰もこの評価を真剣に捉えていないことに気づきました。彼らは「相互高評価」について、平然と公言するほどです。
「形骸化」の背景にある業界特有の事情
では、なぜこのような「形骸化」が進むのでしょうか。ゲーム業界特有の事情が大きく関係しているようです。
プロジェクトの成否に「紐付け」される個人評価
ロリンさん(ルオリン)は、インターネット企業のゲーム部門に勤務しており、年に2回の360度評価を経験しています。しかし、彼はチームリーダーとして、この評価が個人の業績に与える影響は「ごくわずか」だと深く理解しています。ほとんどの場合、親しい同僚との評価は形式的なもので、AIに褒め言葉を生成させたり、毎年同じテンプレートをコピペすることもあるそうです。
ロリンさんは、ゲーム業界の生態系は「個人の努力ではどうにもならない部分が多い」と指摘します。個人の業績は、配属されたプロジェクトの良し悪しに強く結びついており、事実上、最初から評価が決まっているようなものだというのです。たとえば、開発中のプロジェクトを担当するマーケティング担当者が、ヒット作を担当する担当者と同じ評価を得ることは困難です。さらに、会社側が各プロジェクトに対して、A、B、Cといった評価の割合をあらかじめ定めていることもあります。プロジェクトが好調であればあるほど、リーダーは誰に「C評価」を付けるかで頭を悩ませます。そうなると、個人の努力よりも、役割の重要性やリーダーとの関係性が評価に影響を与えてしまうこともあるのです。
このため、ある種の社員は360度評価で非常に「葛藤」します。彼らは高評価を付けることをためらい、同僚に「少し低い評価を書いてほしい」と頼むことさえあります。チーム内で比較的「周縁的」な立場にいる、あるいは安全感のない社員は、低評価を避けるためにそうするしかないのです。
上層部へのアピールと「社交力」の証明
このように、360度評価の立ち位置は微妙に変化し、会社が社員の価値を測るツールから、社員が会社に「自分をアピールする」手段へと滑り落ちています。大企業では、自分の貢献をリーダーや同僚に理解してもらうため、あらゆる機会を捉えなければなりません。小優さんや同僚たちは、日頃から「仕事の痕跡を残す」よう互いに注意し合っています。ロリンさんも度々、上層部への報告会に引っ張り出され、それが「データ共有」や「自分たちの行動を正当化する」ための“自己プロモーション大会”になっていると語ります。
しかし、自己アピールの効果には限界があります。小優さんは「話しすぎると、リーダーに『ごまかしているのではないか?』と思われかねない。上司とのコミュニケーションは常にこのジレンマに陥る」と感じています。一方で、360度評価は「他者からの評価」であるため、部下からの自己評価に慣れているリーダーにとっては、より重みを持つ可能性があります。たとえリーダーが「相互高評価」が行われていると知っていても、どれだけ多くの人から良い評価を集められるか、そのこと自体が、職場で生き残るために不可欠な「社交力」の証明となるのです。
「強制的な協調性」がもたらす歪み
栗山さん(リーシャン)は複数の中国大手ゲーム企業を渡り歩いてきましたが、彼も他の社員と同様、360度評価に特別なプレッシャーを感じていません。しかし、この制度に対しては中立的で慎重な態度を崩しません。彼が危惧するのは、人間関係に関わる評価が、悪意を持って利用される危険性です。
「不合群(集団に溶け込まない)」のレッテルと排除
栗山さんは、「あるリーダーが部下に不満を抱き、低い評価を付けて『チームに溶け込まない』『プロジェクトの雰囲気と合わない』といったネガティブな世論を形成しようとしたケースを見た」と語ります。つまり、リーダーや周囲の人間が悪意を抱けば、360度評価はすぐに彼らの「武器」になり得るのです。
大企業において「不合群(集団に溶け込まない)」というレッテルは、最も厳しい告発の一つです。日常業務では、効率的な連携と情報共有が重視され、コミュニケーション能力は必須です。しかし、このルールは逆の操作も生み出します。一部の人が積極的に枠組みを作り、似た者同士を囲い込み、そこに加わらない人は「不合群」のレッテルを貼られ、結果的に利益配分から組織的に排除されることもあります。排斥を避けるため、多くの人が「外向的であるふり」をせざるを得ない状況です。
栗山さんは、大企業の人々が「協調性(合群)」を求める傾向は「病的なレベル」に達しているとさえ感じています。彼自身は非常に社交的な性格ですが、それでも上司から「もっとチームに溶け込むべきだ」と圧力をかけられた経験があるといいます。上司が社員の「協調性」を評価する視点は、時に主観的で不透明であり、それが社員に過度な競争や、ある種の「演技」を強いる結果を生んでいるのです。
まとめ
中国の大手ゲーム企業における360度評価は、その本来の目的から大きく逸脱し、独特の機能を果たしていることが明らかになりました。社員同士の「互恵互利」な相互高評価や、プロジェクトの成否に強く結びつく個人評価、そして「集団に溶け込む」ことを求める過度なプレッシャーが、この評価制度を形骸化させています。
この現象は、中国テック企業特有の組織文化や、成果主義の歪み、人間関係の複雑さを浮き彫りにしています。本来、社員の成長を促し、組織のパフォーマンスを向上させるはずのツールが、別の目的で活用される実態は、日本の企業文化や人事評価制度にも示唆を与えるものかもしれません。単なる評価制度としてではなく、その背後にある組織の人間関係や文化を理解することの重要性を改めて感じさせられます。
元記事: chuapp
Photo by Gustavo Fring on Pexels






