PlayStation Plusのフリープレイとして登場し、再び注目を集めているゲーム『Stray』。サイバーパンクの廃墟と化した都市を、一匹の猫となって冒険するという斬新な設定で、多くのゲームファンを魅了しました。しかし、この魅力的なコンセプトの裏で、中国のゲームメディア「触乐」(Chuapp)は、ゲームに対する愛と同時に、ある種の疑問を投げかけています。「猫として冒険できるのに、なぜ人類の業や文明の脆さを深掘りする必要があるのか?」この記事では、『Stray』が提供するユニークな体験と、その物語が抱える課題について、触乐の視点から掘り下げていきます。
『Stray』が描く世界と猫の冒険
『Stray』は、人類が滅び、ロボットと変異したバクテリアが支配するサイバーパンク都市が舞台の三人称視点アクションゲームです。プレイヤーは一匹の迷い猫となり、離ればなれになった仲間を探しながら、この荒廃した世界を駆け巡ります。
ジャンプ、よじ登り、トラップ回避、そして軽妙なパズル要素。これら全てを「猫」として行うことが、本作最大の魅力であり、多くのプレイヤーが夢中になった理由でしょう。開発者が細部にまでこだわって実装した、壁を引っ掻く、キーボードの上を歩く、物をひっくり返すといった愛らしい猫のしぐさは、まさに愛猫家にとってたまらない体験です。発売当初、筆者もこのゲームに熱中し、すぐにクリアしたといいます。
完璧とは言えない物語の深さ
しかし、興奮が冷めると同時に、筆者はこのゲームが必ずしも完璧ではないことに気づいたそうです。『Stray』は、ロボットや荒廃した未来といった人気要素を詰め込み、深遠な物語を予感させる多くの隠喩や背景設定を盛り込んでいます。しかし、結末に到達すると、それらが「何となく」「中途半端に」終わってしまい、物語全体がぼんやりとした印象に。
オープンな結末は、プレイヤーに思考を促す意図があったのかもしれませんが、ストーリーの曖昧さや簡素さゆえに、それ以上の考察へと導く大きな動機にはならなかったと指摘しています。限られたゲーム規模の中で、深すぎるテーマを扱おうとした結果、どれもが消化不良に終わってしまったという見方です。
「猫」であることの必然性への問いかけ
筆者が抱いたもう一つの大きな疑問は、「なぜ主人公は猫でなければならなかったのか?」という点です。確かに猫として世界を冒険する新鮮さは抜群です。しかし、物語全体を通して、猫は人類の滅亡とロボット世界の変遷を「傍観者」として見守る役割が大きく、その存在がストーリー展開に強く結びついているとは言えません。
「主人公を犬やキツネ、あるいはカピバラに変えても、物語は同じように進むのではないか?」という辛辣な問いかけは、このゲームの根幹を揺るがします。開発者が猫への愛情を強く示していることは疑いようがありませんが、果たして猫が、人類の強欲やテクノロジーの暴走、文明の脆弱性といった重いテーマを背負う必要があったのでしょうか。もっとシンプルで純粋な、「猫の視点」から見た世界を描くことはできなかったのか、という問いです。
『Stray』が数々の賞にノミネートされ、高い評価を得たことに対し、筆者は「猫としてプレイできる」という設定が、本来以上の注目を集める「客寄せパンダ」的な要素として機能したのではないか、と疑問を呈しています。
まとめ:愛と期待、そしてゲームが残した問い
中国のゲームメディア「触乐」のレビューは、『Stray』への深い愛情と、それゆえに抱く期待と、若干の物足りなさが入り混じった複雑な感情を吐露しています。筆者は決してゲーム全体を否定しているわけではなく、開発者の表現方法を理解し、自由な創作活動を尊重する姿勢を見せています。
しかし、「高品質な猫テーマのゲームが少ない」という現状が、プレイヤーの期待値を必要以上に高め、『Stray』にさらなる完成度を求めてしまう要因になっているとも分析しています。ユニークなコンセプトと魅力的な猫の挙動で多くのファンを魅了した『Stray』ですが、その物語の深さや、猫であることの必然性については、プレイヤーそれぞれが考察する余地を残しているようです。
日本のゲームファンにとっても、『Stray』は感動とともに、ゲームとは何か、物語とは何かを問いかける、示唆に富んだ作品であり続けるでしょう。
元記事: chuapp
Photo by Sebastiaan Stam on Pexels












