クリストファー・ノーラン監督の新作映画『オデュッセイア』が、北米で7月17日に公開され、中国への導入も決定しました。しかし、そのキャスティングが大きな議論を呼んでいます。古代ギリシャ叙事詩に登場し、トロイア戦争の原因とされる「絶世の美女ヘレン」役に、黒人女優ルピタ・ニョンゴが起用されたのです。
この大胆な人種変更は、ハリウッドで重視されるDEI(Diversity, Equity, Inclusion:多様性、公平性、包括性)の潮流への「迎合」と見る向きがある一方、ノーラン監督特有の「隠された意図」があると深読みする声も上がっています。映画界を巻き込むこの論争の核心に迫ります。
ノーラン新作『オデュッセイア』、ヘレン役で大論争の幕開け
クリストファー・ノーラン監督の最新作『オデュッセイア』は、古代ギリシャの叙事詩を題材とした壮大な作品として注目を集めています。北米での公開日が7月17日に迫る中、特に話題となっているのが、主要キャラクターの一人である「ヘレン」のキャスティングです。
ヘレンは、古代ギリシャのホメロス叙事詩に登場する、トロイア戦争の発端となったとされる絶世の美女。2000年以上にわたり、西洋美術や文学、そしてこれまでの映画作品(例:2004年の映画『トロイ』)では、常に金髪で白い肌を持つ女性として描かれてきました。ところが、今回のノーラン版では、黒人女優ルピタ・ニョンゴがヘレン役を演じることが発表され、映画界に衝撃が走っています。
このキャスティングに対しては、世界中の観客から賛否両論が巻き起こっています。中には、イーロン・マスク氏を含む著名人からも批判的な意見が表明されており、論争はますます過熱する一方です。
「DEI迎合」か「古典破壊」か?高まる批判の声
強制的な多様性への疲弊
このキャスティングを批判する主な意見は、ノーラン監督が昨今ハリウッドで重視されているDEIの潮流に「迎合」しているのではないか、というものです。
中国のSNS上では、「これはDEIが魔道に堕ちた証拠だ」「古典をこんな風に改編すべきではない」といった厳しい声が上がっています。ヘレンのイメージが2000年にわたって白人美女として固定されてきた歴史を踏まえ、「原作の根幹を直接破壊するような改変は到底受け入れられない」という意見が多数を占めます。
近年、西洋社会では映画やドラマにおいて、歴史上や原作で特定の人種・性別で描かれてきたキャラクターを、異なる人種・性別に変更する動きが頻繁に見られます。これに対し、一部の視聴者は「強制的な多様性の押し付け」として強い反発を感じており、ノーラン監督の今回の選択も、この潮流に便乗したものと捉えられています。
また、アカデミー賞の選考基準に「覚醒要素(woke elements)」が含まれるという噂もあり、ノーラン監督のこの動きが、賞レースを意識したものである可能性も指摘され、さらなる議論を呼んでいます。
ノーラン監督の「理性」と「隠された意図」を深読みする声
復讐か、周到な策略か
一方で、このキャスティングにはノーラン監督特有の「隠された意図」があると深読みする見方も存在します。中国の動画サイトBilibiliの映画評論家「空想家老韓」氏らを筆頭に、一部の観客は「物事が普通と違う時は必ず妖しい兆候がある」と述べ、以下のような分析を展開しています。
ノーラン監督は一貫して「理性」と「知的な仕掛け」を重視する作風で知られています。過去のインタビューなどから、ノーラン監督がかつて映画『トロイ』の監督機会を逃したことを根に持っており、今回の『オデュッセイア』で、当時の作品への「復讐」や「皮肉」を込めているのではないかという憶測まで飛び交っています。
ノーラン監督の前作でアカデミー賞最優秀作品賞を受賞した『オッペンハイマー』では、セリフのある黒人キャラクターはほとんど登場しませんでした。しかし、今回の『オデュッセイア』では、他の主要キャラクターが神話や歴史に忠実な描写であるにもかかわらず、ヘレン(黒人)だけが伝統的なイメージと大きく異なるキャスティングとなっている点が注目されています。
さらに、『オデュッセイア』はR指定映画とされているものの、公開された予告編にはそうした要素が一切見当たりません。ノーラン監督はこれまでも、予告編に映画の真のテーマや驚きの要素を巧妙に隠すことで知られています。このことから、今回のヘレン役のキャスティングも、映画本編で明かされる何らかの「大どんでん返し」や「深いメッセージ」の一部ではないかという推測が広まっています。
「物事は表面から見えるほど単純ではない」――ノーラン監督の作品に慣れ親しんだファンは、この論争の裏に、監督ならではの周到な計画が隠されている可能性を捨てきれないでいます。
まとめ
ノーラン監督の『オデュッセイア』におけるヘレン役のキャスティングは、単なる人種変更という枠を超え、DEIの潮流、古典の改変、そして監督の意図という複数のレイヤーで議論を呼んでいます。
観客の感情的な反発と、知的な深読みが交錯する中で、この映画がどのようなメッセージを伝えるのか、本編の公開が待たれます。日本でも公開されれば、同様の議論が巻き起こる可能性があり、今後の動向が注目されます。映画ファンは、この論争をどう捉え、そして映画を観るのか。ノーラン作品の新たな挑戦が、世界の映画文化に一石を投じることは間違いありません。
元記事: gamersky












