CRPGファンなら一度は耳にしたことがあるかもしれません、2016年発売の意欲作『Tyranny』(邦題:暴君)。このゲームは、プレイヤーが「絶対的な悪の帝国」の代弁者となり、世界征服の最終局面を担うという、非常に珍しいコンセプトを持っています。単なる「悪人ごっこ」では終わらない、深く考えさせられるロールプレイング体験とは一体どのようなものなのでしょうか?製作上の課題を抱えつつも、なぜ今なお「悪役ルートの金字塔」として語り継がれるのか、その魅力に迫ります。
暴君の代弁者として世界を支配する──『Tyranny』の悪役RP体験
物語の舞台は、至高の暴君がほぼ全世界を征服した後の、最後の抵抗勢力が残る領土です。プレイヤーは暴君の「喉舌(こうぜつ)」、すなわち代弁者として派遣され、この最後の地を平定する任務を負います。しかし、任務は一筋縄ではいきません。暴君配下の2人のArchon(執政官、この文脈では「軍閥」に近い)の間には激しい内部対立があり、これが征服プロセスを大きく遅らせていました。
焦れた暴君は、プレイヤーに強力な魔法の勅令を託します。それは「8日以内にこの領土の中心部を制圧できなければ、敵味方問わず、そこにいる全ての人を殺害する」という残酷な命令でした。プレイヤーは、この期間内に2人のArchonのどちらかを支持し、最後の自由領土をその手中に収めることになります。その後もプレイヤーは、敵味方だけでなく、時には味方すらも欺き、裏切り、自分の行動を「争いを終わらせるため」と高らかに正当化していきます。まさに「絶対的な忠誠でなければ、それは絶対的な不忠だ」という暴君の思想が、ゲーム全体に深く刻まれているのです。
単なる悪人ごっこじゃない──『Tyranny』が描く「効率と支配の邪悪」
「なぜ、ゲームの悪役ルートは、しばしば物足りなく感じるのか?」この問いに対し、『Tyranny』は独自の答えを提示します。それは、「殺戮、同盟、裏切りといった行為を、単なる悪意ではなく、『支配』と『効率』に結びつけること」です。
このゲームの悪役主人公が為すことは全て、暴君、あるいは自身の目標を効率的に達成するため。道中で出会う勢力や人物は、障害物か踏み台でしかありません。記事中では「邪悪の本質は、目に見えるもの全てを『人間以外』として扱い、『資源』と見なすこと」という洞察が語られます。また、プレイヤーと仲間の関係性を示す好感度システムも、「忠誠値」と「恐怖値」で表現され、対等な仲間ではなく、支配関係にあることを示唆しています。暴君が目指す「究極の平和」という目的が、その残酷な手段と対比される皮肉もまた、このゲームの奥深さと言えるでしょう。
欠点すら魅力に変える、不完全な傑作
しかし、『Tyranny』には多くの欠点も指摘されています。制作費の低さからくる粗い部分、深刻なバグ、そして尻すぼみなストーリー展開、さらには日本語非対応(中国語もなし)といった点は、購入をためらう理由にもなりかねません。しかし、これらの不完全さこそが、CRPGというジャンル特有の「不完全さを受け入れる宿命」を象徴しているのかもしれません。
記事の筆者は、革新的な魔法システムや声望システムが、実際のプレイで戦略性に大きく貢献しているとは言えないとしつつも、そのユニークなRPの可能性は評価しています。特に、暴君本人を表舞台に出さず、プレイヤーの言動を通じて「何が邪悪なのか」を探求する物語の構成は、続編の有無に関わらず、このテーマを深く掘り下げる上で非常に効果的だったと述べています。一般的な名作RPGのような「忘れがたい冒険」よりも、「多様なRPの可能性を楽しむ」プレイヤーにこそ刺さる作品と言えるでしょう。
まとめ
『Tyranny』は、技術的な不完全さを抱えながらも、「悪とは何か」「邪悪な行動をどう正当化するか」という深遠なテーマを、プレイヤーの選択を通じて深く掘り下げた稀有なCRPGです。単なる善悪二元論に収まらない、倫理的な問いかけに満ちたその世界は、ロールプレイングの可能性を追求したい日本のゲーマーにとって、今なお発見と考察の価値があるでしょう。不完全さをも愛せるCRPGファンなら、ぜひ一度その「邪悪」な世界に足を踏み入れてみてはいかがでしょうか。
元記事: chuapp
Photo by Heber Vazquez on Pexels












