中国各地の海洋公園が、かつてない経営危機に瀕しています。巨額の投資にもかかわらず、赤字に喘ぎ、売却や破産が相次ぐ「終わりの夏」を迎えているのです。かつては不動産開発の目玉として建設され、子供たちの夢を育む場所であったはずの海洋公園は、今や「死を待つか、売られるか」という厳しい選択を迫られています。本記事では、その深刻な現状と背景にあるビジネスモデルの脆弱性を深掘りし、さらに日本の水族館の成功事例から、中国の海洋公園が生き残るためのヒントを探ります。
中国海洋公園に迫る「終わりの夏」:相次ぐ売却・破産劇
2025年の夏、中国の都市型海洋公園の目の前には、厳しい現実が突きつけられました。「死を待つか、売られるか」という二者択一です。その象徴的な事例として、深圳特発集団が湖北省荊州市の小梅沙海洋館の全株式売却を計画していることが挙げられます。総投資額約2.8億元(約56億円)にもかかわらず、2025年上半期だけで約892万元(約1.8億円)の赤字を計上し、年間赤字は前年をすでに上回っています。
この苦境は氷山の一角に過ぎません。荊州の事例の直前には、投資額30億元(約600億円)超とされる「アジア最大級」の触れ込みだった海南富力海洋歓楽世界の運営会社が破産再編を申請。富力集団が「文旅+不動産」戦略の旗艦と位置付けたこのプロジェクトも、債権者による清算の危機に瀕しています。
一方で、再編による新たな動きも見られます。中国東北部唯一のA株上場文旅企業である大連聖亜は、旅行大手同程旅行の子会社に買収され、経営権が移転しました。さらに、香港証券取引所で苦戦していた海昌海洋公園も今年6月、祥源控股に買収され、外部からの支援を受け入れています。
中国全土に目を広げれば、東北地方の大連から中部地方の荊州、そして南部の陵水まで、2025年の海洋公園業界はまるでドミノ倒しのように連鎖的な苦境に陥っています。これらは、長年地域ランドマークとして愛されてきた施設や、国有企業・上場企業をバックに持つ強者ばかりでしたが、もはや単独での存続が難しい状況なのです。
なぜ苦境に?海洋公園ビジネスモデルの落とし穴
多くの人が海洋公園と聞けば、広大な施設、珍しい動物、そして子供が喜び、親がお金を出す「儲かるビジネス」を想像しがちです。しかし、実態は「見かけは良いが、運営は厳しい」という冷酷な現実があります。
高コスト体質と脆弱な収益構造
最も直接的な原因は、その異常なまでの高コストです。一般的な中規模海洋公園でも、建設費は数億元(数十億円)から始まり、数万平方メートルの展示エリア、数百種類の水陸両用動物、数百にも及ぶ設備維持に莫大な費用がかかります。さらに、水族館の主役であるシロイルカ、アシカ、ペンギン、クラゲ、アザラシといった生きた動物たちの日常的な飼育、医療、輸送には、専門の飼育員や技術チームによる24時間体制のケアが不可欠であり、運営コストはほとんど下がりません。
過去には、上場廃止を避けるため大連聖亜がペンギンの売却益を主な事業収益に計上したことが物議を醸しましたが、業界関係者にとっては珍しいことではありませんでした。動物の売買は、多くの海洋公園にとって隠れた収益源だったのです。しかし、本当に悲劇的なのは「売れない、あるいは飼い続けられない」状況です。2019年には深圳小梅沙海洋世界のメスのシロイルカ「ソフィー」が移送先の荊州小梅沙海洋館で死亡。通常より10〜30年も短い寿命だったことで、動物福祉への関心が社会全体で高まりました。
「入場券頼み」の限界と不動産依存
建設費や動物の費用は初期投資で乗り切れたとしても、より致命的なのは海洋公園の商業モデルの脆弱性です。現在の多くの中国国内の海洋公園は、入場券(門票)収入に過度に依存しています。まるでホテルがフロントでの部屋売りだけで運営されているようなもので、それは現実的ではありません。上海ディズニーランドのように物販、飲食、キャラクターグッズといった「二次消費」で高い売上を上げる仕組みが未発達で、観光客は一度見てしまえばすぐに帰ってしまうため、財布の紐を緩めてもらうことが難しいのです。ある業界関係者は「まるでポップコーンを売らない映画館のようだ」と皮肉っています。
さらに大きな問題は、これらの海洋公園が持つ「都市型」という特性です。ほとんどが地元の来場客に依存しており、地域の子供たちの週末の遊び場となっています。しかし、都市の人口規模が小さく、来場頻度が低ければ、わずかな入場券収入では、鯨やイルカを養うどころではありません。
この状況は、多くの海洋公園プロジェクトの背後に不動産会社が控えている理由を説明しています。荊州小梅沙海洋館の背後には特発不動産の「幸福里」プロジェクトが、海南富力海洋世界の後ろには「富力湾」がありました。不動産事業からの資金供給が途絶えると、海洋公園の赤字体質が露呈したのです。
結局のところ、これらのプロジェクトの問題は運営だけにとどまらず、そもそもの投資モデルに大きな欠陥がありました。不動産経済が停滞する中で、収益が追いつかない海洋公園は、足かせとなってしまったのです。テーマパークのような成熟したIP体系もなければ、ショッピングモール内のアミューズメント施設のような身軽さもない。半商業、半科学普及、半不動産、半観光という「半端」な位置づけが、どの分野でも専門性を欠き、足取りを重くしているのです。
世界の課題と日本からのヒント:地域密着型「水族館」の可能性
客観的に見れば、海洋公園を儲かるビジネスにするのは、世界的な難題です。2025年8月には、世界最大の海洋公園である米フロリダ州オーランドのシーワールドの親会社が四半期決算を発表し、来場者数は増えたものの、会社全体では依然として赤字であることを明らかにしました。その理由や詳細な説明はありませんでしたが、業界内では「やはり儲からない」という諦めの声が聞かれました。
しかし、だからこそ、逆境の中で生き残りを図る試みは注目に値します。筆者は今年4月、日本旅行中に、開業5年を迎える「四国水族館」を訪れる機会がありました。この水族館は規模こそ大きくないものの、非常に工夫が凝らされており、来場者を惹きつけるインタラクティブな仕掛けが随所にありました。
例えば、メイン展示である黒潮の潮流を再現した巨大水槽では、斜めからの視点でまるで水中にいるかのような感覚を味わえ、必見の撮影スポットとなっています。また、鳴門の渦潮をモチーフにした「Uzushio渦潮」は、本物の潮流体験を展示に取り入れており、子供たちが大いに楽しんでいました。
特筆すべきは、そのコンテンツが随所に「地域性」に根差していたことです。瀬戸内海の地元の魚から、長浜町の流域標本、そして子供たちと真珠のネックレスを作る体験まで、単に生物を展示するだけでなく、地元に根差した想像力を提供していました。
翻って中国の多くの海洋公園は、規模は大きいものの「よそよそしさ」が目立ちます。動物は海外から輸入され、パフォーマンスはテンプレート通りに進められ、来場者は見終わるとすぐに帰ってしまうため、人とコンテンツの間に真の繋がりが生まれません。日本の経験が示唆するのは、たとえ規模が小さく、予算が限られていても、デザインが感情に訴えかけ、コンテンツが地域と深く結びついていれば、リピートや口コミの余地が生まれるということです。
事実、日本の各地の水族館の多くは、政府補助金に頼ることなく、また規模を追求するために巨額の投資をすることなく、安定した自立経営を実現しています。彼らは海洋生物を展示するだけでなく、市民を海の世界に誘い込み、長隆やシーワールドのような大規模な消費型テーマパークを単純に模倣するのではなく、地域感、隣人感、成長感を追求することで、独自性を確立しているのです。
海洋公園が温かさ、インタラクティブ性、そして真の参加体験を提供できるようになれば、その財務モデルも健全になり始めるでしょう。
まとめ:変革期を迎える中国海洋公園の未来と日本の示唆
2025年、中国の海洋公園業界は、ようやく「システム的な修復」へのかすかな希望が見え始めました。同程旅行が大連聖亜を傘下に収めたことで、オンラインのトラフィックをコンテンツに還元する試みが始まっています。一方、祥源控股が海昌海洋公園を買収したことは、都市空間での展開を通じて運営エコシステムを補完しようとする動きを示しています。
これらは、単なる経営難からの救済ではなく、孤立したプロジェクトを包括的な文化・観光産業のサプライチェーンに組み込もうとする、二つの異なる方向性を示しています。このモデルが確立するかどうかはまだ時間を要しますが、業界に新たな変数を注入していることは間違いありません。
冒頭の言葉「死を待つか、売られるか」は、中国の海洋公園が直面する避けられない現状です。しかし、今後「どのように再定義されるか」が、その未来の生き残りを決定づける鍵となるでしょう。日本の事例が示すように、地域との深いつながりや感情に訴えかける体験こそが、これからの海洋公園の価値を高めるのかもしれません。
元記事: 36氪_让一部分人先看到未来
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