中国のゲーム業界で、倫理観を巡る激しい「炎上」が相次いでいます。人気ゲーム『崩壊:スターレイル』の新キャラクター設定を巡る批判が、瞬く間に開発元のmiHoYo全体、さらにはゲームを配信した著名なストリーマーにまで波及。インターネットが加速させるこの現象は、社会学でいう「モラルパニック」の様相を呈しています。現代の創作者が直面する、過度な感情的期待と厳しい制裁の時代について、中国の事例から考察します。
1. キャラクター設定から始まった「モラルパニック」
事の発端は、miHoYoの人気タイトル『崩壊:スターレイル』が発表した新キャラクター「ダリア」でした。このキャラクターが、1947年にロサンゼルスで発生し、その残酷な手口から「ブラック・ダリア事件」として知られる未解決殺人事件の要素を想起させると指摘されたのです。被害者への冒涜だと感じるプレイヤーからは強い反発が起こり、SNS上では「引退」を宣言する声も上がりました。
この批判は瞬く間に『崩壊:スターレイル』からmiHoYo全般、さらには同社の他の製品へと拡大。さらにはmiHoYoのゲームをプレイするユーザー自体を「加害者の共犯」と見なす過激な意見まで飛び出し、二次創作を行うクリエイターたちにも「関係を切るか」という圧力がかかりました。
人気ストリーマーを襲った「共犯者」批判
そんな中、中国の動画サイトBilibiliで人気を博すUP主(動画投稿者・配信者)の逍遥散人(シャオヤオサンレン)氏が、miHoYoの新作『Varsapura』のプレビュー動画をライブ配信しました。過去の炎上案件を避けて中立を保ってきた彼でしたが、この件については視聴者の「問題のあるコンテンツを避けるべき」という忠告を拒否し、自身の考えを表明します。
「ゲームじゃないか?何年も経てば、どんなゲームにも議論が起こる。最近では国産ゲームなら少しでも人気が出れば必ず揉める。プレイヤーはただ、自分が遊びたいものを遊べばいい。良いゲームなのに無理して遊ばないのは損だ」。彼のこの言葉は瞬く間に拡散され、多くの反発を招きました。結果として、逍遥散人氏は過去の動画を削除するなど対応を迫られ、一部のファンからは「裏切り」と見なされ、定量的なファン減少や、ネットイースなどの企業とのコラボ中止といった具体的な影響が出たのです。
2. 「ずっと怒っている」現代社会と創作者の重圧
こうした現象は、英国の社会学者スタンリー・コーエンが1972年に提唱した「モラルパニック」という概念に通じます。「特定の誰かや作品が道徳に反している」と感じた人々が、感情的に高ぶり、集団で激しく反発することで、社会の「失われた道徳秩序」を取り戻そうとするものです。コーエンの時代はメディアがその発火点でしたが、現代ではインターネットによって誰もが「メディア」となり、このパニックが50年前よりもはるかに容易に、かつ高速に拡散されるようになりました。
なぜ、これほど感情が燃え上がりやすいのか?記事では、映画『アベンジャーズ』のセリフ「私っていつも怒っているからね」を引用し、現代人が常に何らかの不満や怒りを抱えている状況を指摘します。そして、その鬱憤を晴らす「はけ口」として、ゲームを含むコンテンツ業界が選ばれがちだというのです。
感情の供給源としてのゲーム
特に二次元ゲームや乙女ゲームは、プレイヤーがキャラクターとの「絆」を通じて情緒的な充足を得ることを重視します。そのため、他のジャンルのゲームに比べてプレイヤーはより敏感で、キャラクターデザインやストーリーが「自分を侮辱している」「自分を否定している」と感じやすい傾向があります。これらの作品が提供する「感情的なサービス」は、現実社会で抱えるストレスや満たされない感情を投影する、安価で手軽な場所となっており、集団的な感情的発散の最前線となっています。
3. 創作者に求められる過剰な役割と「制裁」の連鎖
これらの炎上事件では、論理的な議論よりも「感情」が主要な原動力となっています。ユーザーは作品や創作者に対し、かつてないほど「自分の感情を理解し、満たしてくれる存在」であることを期待します。しかし、この期待は際限なく膨らみ、「私を喜ばせてくれる人を評価する」から、「私を不愉快にする人を罰する」、そして最終的には「私を喜ばせられなかった人を制裁する」へと変質していきます。
この「制裁」は作品への批判に留まらず、作者の過去の言動、他の作品、商業パートナー、広告契約など、あらゆる方面に及びます。その目的は作品の修正ではなく、作者自身を徹底的に罰することにある、と記事は指摘しています。これは、まるでアイドルや芸能人に対するような、相手の「弱み」を突く攻撃方法であり、その攻撃はしばしば「抹殺」に近いものへとエスカレートします。
まとめ:不安定な時代を生き抜く創作者の未来
中国のゲーム業界で巻き起こる一連の「モラルパニック」は、創作者が現代社会で直面する不確実性と重圧を如実に示しています。感情を共有し、共感を生むはずのコンテンツが、一転して集団的な怒りの矛先となり、時に創作者のキャリアをも脅かす存在となり得ます。インターネットによる瞬時の拡散力は、こうした感情の連鎖を止めどなく加速させ、制裁の範囲を広げます。
この中国の事例は、日本を含む世界のコンテンツ業界にとっても他人事ではありません。作品が社会との接点を持つ以上、倫理観や多様な感情への配慮は不可欠ですが、過剰な期待や感情的攻撃から創作者を守る仕組みもまた重要です。今後、創作者とユーザーの関係性、そしてコンテンツの役割はどのように変化していくのでしょうか。この問いは、現代社会全体が向き合うべき大きな課題だと言えるでしょう。
元記事: chuapp
Photo by Anete Lusina on Pexels












