ソニーが2028年にPlayStationの物理ディスク生産を停止するというニュースは、多くのゲーマーに衝撃を与えました。この発表に対し、海外ゲームメディア「Polygon」が独自の視点から論説を公開しました。当初は物理メディア支持を表明しつつも、記事の核心では、ゲームにおけるディスクメディアの限界を厳しく指摘しています。ディスクはゲームに不向きであり、その終焉を歓迎するというPolygonの主張について、詳しく見ていきましょう。
物理メディア支持者からの意外な本音
当初は「物理メディア支持」を表明
Polygonの筆者は、PlayStationの物理ゲーム停止に落胆したと語ります。自身は物理ゲームは集めていないものの、ブルーレイ映画、物理書籍、CD、LPを収集し、子どもにはSwitchの物理ゲームを購入する生粋の物理メディア愛好家であることを強調しました。その理由として、芸術の保存、購入したものの所有権、そして共有や貸与、贈与、収集といった社会的・感情的価値を挙げています。
しかし、ディスクゲームには「うんざり」
その上で、筆者は核心を突くように述べます。「正直になろう。ディスクそのものについては?とっとと消えてしまえ。」ソニーが1990年代にゲームに導入したディスク形式が、ゲームという芸術に全く合っていなかったと断じ、その終焉を心から歓迎すると衝撃的な本音を漏らしています。
ゲームにとってディスクが不向きだった理由
音楽・映像とゲームの違い
ディスクは音楽や映画のメディアとしては優れていると筆者は認めます。これらは順次再生されるため、多少の読み込み時間は許容範囲だからです。しかし、ゲームは違います。ソニーが推進したCD、DVD、ブルーレイといったディスクメディアは、ゲームにとって「決して良い選択ではなかった」と指摘しています。ゲームがディスクから絶えずデータを読み取る必要がある場合、動作は遅く、ぎこちなく、極めて不安定になる傾向がありました。さらに、ディスクは傷つきやすく、汚れると、音楽や映画ならスキップする程度で済むところが、ゲームではデータが破損し、プレイ不可能に陥ることも少なくありませんでした。
読み込み時間の問題とストレージへのインストール
特にPS2やPS3時代には、ディスクの読み込み時間がゲーマーを悩ませる大きな問題でした。この問題を解決するため、開発者はディスクの内容を本体のハードディスクにインストールする方式を採用。しかし、このインストールプロセスにかかる時間は、ゲームのダウンロードと大差なく、かつストレージ容量を消費するため、ディスクの存在意義は薄れ、無用なものとなってしまったのです。
ゲーム本来のメディア、そして任天堂の「正解」
ゲームは「チップ」に書き込まれるべき
筆者は、ディスクが元々オーディオ業界がアナログレコードに代わるものとして開発され、映画やアルバムのような「座って再生し、芸術を受け取る」線形的な作品に適していると説明します。しかし、ゲームの本質は、リアルタイムでインタラクティブ、そしてオープンエンドであり、プレイヤーとアーティストの双方向の交流にあると主張。そのため、ゲームは本質的にチップに属し、シリコンに書き込まれるべきだと断言します。そして、カートリッジこそが「常にゲームにとって最高のメディアであり、これからもそうあり続ける」と結論づけています。
任天堂の歴史的判断
かつて任天堂がソニーとの共同開発による「ディスク版任天堂PlayStation」の計画を打ち切り、N64でカートリッジに固執したことは、強力な競合相手を生み出すという「歴史的な間違い」だったと広く認識されています。しかし、筆者はコンセプト上は「正しい決定だった」と評価。任天堂のゲームはディスク(GameCubeのミニディスクでさえ)とは相性が悪く、現在、任天堂がシリコンチップのカートリッジに戻り、真の和解を達成したように見えると述べています。
まとめ
Polygonの論説は、PlayStationの物理ディスク終焉に対する単なる哀愁ではなく、ゲームメディアとしてのディスクの限界を技術的・本質的な側面から厳しく問い直すものでした。物理メディアの愛好家であるとしながらも、ゲームに限ってはディスクの終焉を歓迎するという、一見矛盾した、しかし深い洞察に満ちた意見は、デジタル化が進む現代において、ゲームとメディアの関係性を改めて考えるきっかけを与えてくれます。日本のゲーマーにとっても、長年のディスクゲーム体験を振り返り、今後のゲームメディアのあり方について議論する良い機会となるでしょう。
元記事: gamersky
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