中国の公式航空アプリ「航旅纵横(TravelSky App)」が、この夏、航空券の直接販売に乗り出しました。中国民航情報ネットワーク(TravelSky Technology)をバックボーンに持つこのアプリは、これまでフライト情報ツールとして広く利用されてきましたが、航空会社と連携し「0差額、0抱き合わせ、0不正」を掲げて市場に参入。一部からは「民航版12306(中国鉄道版の公式チケット販売サイト)」となるのでは、との期待も寄せられています。しかし、サービス開始から1ヶ月、その評価は賛否両論。なぜ「直接仕入れ」のチケットが必ずしも安くないのか?そして、長らく続く航空会社とOTA(オンライン旅行代理店)の複雑な関係の中で、航旅纵横はどのような役割を担っていくのでしょうか?
「源頭机票」の価格論争と複雑な航空券販売の仕組み
航旅纵横が航空券販売に参入する際、最大の武器として打ち出したのが「源頭机票」という概念です。これは航空会社から直接仕入れたチケットを意味し、アプリ内では「38社以上の国内航空会社直販」と強調されています。「価格透明性」「抱き合わせ販売なし」「航空会社の規定に従う」「ビッグデータによる価格差別なし」「データ安全保護」「領収書は支払金額と一致」という「六大承諾」は、従来のオンライン旅行代理店(OTA)で不満の声が多かった点を明確に解消しようとする姿勢が見て取れます。
しかし、ユーザーが最も期待する「価格の安さ」については、意外な結果となっています。北京-昆明間の航空券を比較したところ、航旅纵横は多くの場合、競合のOTA「携程(Trip.com)」よりも50~100元(約1,000円~2,000円)程度高いことが判明しました。なぜ「中間業者が介在しない」はずの公式直販が安くないのでしょうか?
民航の専門家によると、航空券の価格は航空会社が設定する基本運賃(Base Fare)から始まり、これが世界的な航空券販売ネットワークであるGDS(Global Distribution System)に登録されます。中国では、このGDSの役割を航旅纵横の親会社である中国民航情報ネットワーク(中航信)が担っています。そして、OTAや数多くの代理店が中航信のシステムから価格データを取得し、消費者に販売します。最終的な支払価格には、基本運賃に加えて空港建設費や燃油サーチャージ、そしてプラットフォームサービス料や代理店手数料などが上乗せされます。
過去、代理店は航空券の販売額に応じた手数料を得ていましたが、2015年以降、航空会社は販売コスト削減と「コミッション依存」からの脱却を目指し、「提直降代(直販比率向上・代理店依存度低減)」政策を推進。これにより代理店手数料は定額制となり、利益が激減しました。そこでOTAは、航空券を「集客のための入り口」と位置づけ、ホテルや保険、送迎サービスなどの高利益な付帯サービスを抱き合わせ販売することで利益を確保するようになりました。つまり、航空券自体は利益が薄くても、他のサービスで回収するというビジネスモデルです。
このため、航旅纵横のような航空会社の直販チャネルや公式サイトは、必ずしも「最低価格」を提供する場所ではありません。航旅纵横が掲げる「源頭机票」は、価格の安さよりも、不透明な手数料や不要な抱き合わせ販売がない「透明性」と「信頼性」という価値をユーザーに提供することに重点を置いていると言えるでしょう。
航空会社連合軍「復讐者同盟」とOTAとの攻防史
航旅纵横の航空券直販参入は、航空会社の圧倒的な支持を得て始まりました。中国国際航空、中国東方航空、中国南方航空、海南航空など、大手航空会社がこぞって航旅纵横での直販業務の開始を表明。航旅纵横が販売する航空券は「航空会社公式購入チャネル由来」「価格公開・透明性」「抱き合わせ販売なし」「航空会社ルール準拠」「ビッグデータ差別なし」「情報安全保障」といった共通のメッセージを発信しました。現時点で、中国国内の60社以上の航空会社のうち38社が航旅纵横との提携を発表しています。
この動きは、一部のネットユーザーから「航旅纵横が『復讐者同盟』を結成した」と揶揄されるほど、航空会社とOTAの長年の対立を象徴しています。両者の対立の核心は、価格決定権、販売チャネルの管理権、そして利益配分を巡る攻防にあります。
2015年以前は、OTAが圧倒的な影響力を持っていました。航空会社は直販能力が低く、特に中小航空会社はOTAを通じてユーザーにリーチせざるを得ず、手数料は航空券価格の3~10%に達し、大手3社だけでも年間100億元(約2,000億円)以上の手数料を支払っていました。当時、中国東方航空の董事長は「携程と芸龍のために働き続けるのはもう嫌だ」と公言したほどです。OTAは低価格表示と価格比較機能でトラフィックを独占し、携程や去哪児は航空券収入が総収入の40%以上を占めていました。
しかし2015年、航空会社は国務院(中国政府の最高行政機関)の「提直降代」政策を受け、手数料制度を改革し、直販チャネルの強化に着手します。これによりOTAは「航空券+ホテル」の抱き合わせ販売に活路を見出し、ホテルの高い手数料で航空券の割引を補うクロスセル戦略でトラフィック優位性を維持しました。この時期に多くの中小代理店が淘汰され、OTAの航空券収入比率は低下したものの、依然として存在感は大きかったのです。
2024年、中国民用航空局は「2025年末までに航空会社の航空券直販比率を40%以上にする」という指導意見を発表しました。現状ではその目標には程遠いとされており、航空会社は直販強化の必要性を痛感しています。今年3月には、中国南方航空、中国国際航空、中国東方航空が共同で声明を発表し、不正な第三者プラットフォームに対する取り締まりを強化するとともに、航空会社間での「航空券相互販売」を開始し、OTAへの依存を減らすことで利益率向上を図っています。4月には、中国南方航空が「去哪児網」の代理資格を停止するなど、航空会社側からの攻勢が続いています。
このような背景から、航旅纵横が航空会社の統一的な直販プラットフォームとなることには、OTAの乱立する市場への「復讐」と、航空会社自身の収益向上という両方の目的があると言えるでしょう。
航旅纵横は「空の12306」になれるか?今後の展望と日本への示唆
航旅纵横は、その公式性と航空会社からの支持を受け、「民航版12306」として期待されました。中国鉄道の公式チケット販売サイトである12306は、鉄道チケットの供給源を独占しているため、圧倒的な市場支配力と価格決定権を持っています。しかし、航旅纵横が目指す航空券市場は、鉄道市場とは根本的に異なります。航空会社のチケット供給源は複数あり、OTAや他の代理店も独自の強みを持っています。航旅纵横は航空券の「供給源」を独占することはできないため、12306のような「護城河(堀)」を築くことは困難です。
現在のところ、航旅纵横は「透明性」と「信頼性」という価値を打ち出すことで、既存のOTAとの差別化を図ろうとしています。ユーザーは、不透明な追加料金や不要な抱き合わせ販売に悩まされることなく、安心して航空券を購入できるというメリットを感じるかもしれません。しかし、価格競争の激しい市場で、価格優位性なしにどこまでユーザーを囲い込めるかは未知数です。
「また儲けたいだけで、パイを分けたがらない」「選手と審判の両方を務めるのか」という批判の声がある一方で、「チャネルが増えるのは悪いことではない」「悪質なOTAプラットフォームを是正できる」という肯定的な意見も存在します。公式プラットフォームの市場参入が、果たして業界の秩序を再構築し、消費者に真の利益をもたらすのか、それともOTAが歩んだ「老舗」の道を進むことになるのか、その動向が注目されます。
中国におけるこのような政府系プラットフォームと民間企業(OTA)との競争は、デジタル化が進む現代において、他の業界や他国でも起こりうる現象です。消費者保護、市場の公平性、そしてイノベーションの促進という観点から、航旅纵横の挑戦は日本を含む世界のデジタルエコシステムに多くの示唆を与えることでしょう。今後も中国の航空券市場の動きから目が離せません。
元記事: 36氪_让一部分人先看到未来
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