世界中が熱狂するワールドカップ。現実のピッチで繰り広げられるドラマは、私たちをサッカーの魅力に引き込みます。その熱気を、画面の前で再現してくれるのが、長年愛されてきたEAの『FIFA』シリーズ(現在は『EA Sports FC』)です。パス、ポジショニング、連携、そして瞬時の判断。まるでテレビ中継を見ているかのような臨場感で、私たちをサッカーの世界へと誘います。
今やサッカーゲームの代名詞となったこのシリーズですが、その30年以上の歴史が、わずか「2人のプロトタイプ開発者」と「10人未満のチーム」から始まったことをご存知でしょうか? 今回は、中国メディアchuappが報じた、Time Extensionの記事を元に、1993年、いかにしてこの歴史的作品が誕生したのか、EAカナダスタジオの知られざる開発秘話に迫ります。
EAサッカーゲーム開発への執念:イギリス支社の奮闘
初代『FIFAインターナショナルサッカー』は、1993年12月にセガの16ビット家庭用ゲーム機「メガドライブ」向けに発売されました。以来、EAと国際サッカー連盟(FIFA)との30年にわたるライセンス契約が終了する2023年までに、シリーズは全世界で3億2500万本以上を売り上げ、史上最も売れたゲームシリーズの一つとなりました。
この記念碑的な作品の開発はEAカナダスタジオが主導しましたが、そのルーツを辿ると、EAイギリス支社のメンバーたちの並々ならぬ熱意なくしては語れません。当時のEAイギリス支社は、主に北米製品のローカライズやプロモーションを担当しており、自社でのゲーム開発はほとんど手掛けていませんでした。
しかし、マーケティングマネージャーだったニール・テワラペルマ氏をはじめとする数名のメンバーは、セガ メガドライブ向けにリアルなサッカーゲームを制作すれば、大きな成功を収めると確信していました。テワラペルマ氏は、当時ヒットしていた『ジョン・マッデン・フットボール』や『EAホッケー』の成功を見て、「なぜサッカーゲームを作らないのか」という想いを強く抱き、EA本社にサッカーゲーム開発の立案書を提出しました。しかし、返答はありませんでした。
約1年後の1992年、EAイギリス支社のもう一人の社員、マシュー・ウェブスター氏も同様のアイデアを抱き、より具体的なゲームデザインドキュメントを作成しました。彼は、EAに入社する前はイギリス空軍を志望していたという異色の経歴を持ち、ゲームへの情熱から開発への参加を熱望していました。『EAホッケー』の成功に触発され、「『EAサッカー』」と題した企画書を書き上げたのです。
運命の出会い:2人組の外部デベロッパーと“アイソメトリックビュー”
当時、EAイギリス支社には適切な開発チームがなかったため、ウェブスター氏は外部のデベロッパーと協力してプロトタイプを制作する必要がありました。そこで白羽の矢が立ったのが、ウィドネスに住む2人の開発者、ジュールズ・バート氏とジョン・ロー氏でした。彼らはちょうどEAイギリス支社にバレーボールゲームのデモを持ち込んでいたばかりだったのです。
バート氏とロー氏は世嘉の公式開発ツールを持たず、展示会でドイツのセールスマンから手に入れた「電線で絡み合った基板をメガドライブとAmigaに接続する」という手作りの開発キットを使っていました。彼らはバレーボールゲームへの情熱を注いでいましたが、EAから突きつけられたのは「バレーボールゲームは契約できないが、サッカーゲームに興味はないか?」という衝撃の提案でした。
失望しつつも、2人はEAの提案を受け入れ、3ヶ月で3つの異なるプロトタイプを制作しました。サイドビュー、当時の『マッデン・フットボール』に似た視点、そしてアイソメトリックビュー(斜め見下ろし視点)です。特にアイソメトリックビューは、バート氏の父親の助言から生まれたものでした。父親が「なぜテレビ中継のようにもっとサッカーらしくしないんだ?」と語った一言が、開発のヒントになったのです。
このアイソメトリックビューは、EAに強い印象を与えました。ウェブスター氏は、当時の主流だった俯瞰視点の『キックオフ』や『センシブルサッカー』といった競合タイトルとの差別化を図る上で、この視点が「特別で斬新」であると直感しました。
未来へのバトン:EAカナダスタジオへの移管
バート氏とロー氏はプロジェクトを継続するつもりでしたが、EA本社は突然、開発をEAカナダスタジオに移管することを決定しました。EAカナダスタジオは、1991年にEAが買収したDistinctive Softwareを改称したものでした。バート氏とロー氏は失望したものの、彼らは後に、この決定がプロジェクトにとって最善だったと認めています。自分たちだけでは音響やマルチスクリーンといった複雑な要素を制作することは困難だったからです。
EAは彼らを慰めるため、EAイギリス支社での職務を提供しました。一方、ウェブスター氏はアシスタントプロデューサーとしてプロジェクトに残り、EAカナダチームと密接に連携しながら開発を見守り続けました。こうして、情熱あふれる提案者、独創的なプロトタイプ開発者、そして大規模な開発チームの連携によって、後のサッカーゲームの歴史を変えることになる『FIFAインターナショナルサッカー』の誕生へと繋がっていったのです。
まとめ
わずかな人数の情熱と、独創的なアイデアから生まれた初代『FIFA』。その開発秘話は、現代のゲーム開発においても示唆に富んでいます。当時の技術的な制約の中で、いかにプレイヤーに最高の体験を提供するかを追求した結果が、30年以上にわたるシリーズの礎を築いたと言えるでしょう。現在、『EA Sports FC』として新たな一歩を踏み出したこのシリーズが、今後どのような進化を遂げ、私たちを驚かせてくれるのか、その未来が楽しみでなりません。
元記事: chuapp
Photo by Mateusz Dach on Pexels












